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雪の降る夜に倒れた。そして、そのまま岩手医科大学へ

内館 母と私は秋田生まれで、父は生まれも育ちも盛岡。私にとってやはり東北は特別な場所です。東日本大震災でも岩手医科大学は重要な役割を担っていると伺いました。

小川 東日本大震災発災後、通信機能も途絶えました。岩手県は沿岸南部から北部まで約200キロあるんです。被災の状況がどうなっているかがまったくわからない。当時は5万人の被災者が500箇所の避難所に身を寄せていると言われていたんですが、その状況がつかめていませんでした。うちの救急センターに2つの隊を作り、まず状況を把握することにしました。それを行うことで、さらに混乱の状況が見えてきた。500人の避難者がいるところに、医療チームが一つ、その一方で50~100人の避難所に、3隊の医療チームが入っていたりでバランスが悪い。私たちは岩手県の被災地に入る医療チームにライセンスを出したんです。このライセンスというのは、自分たちの食事やガソリンは、現地調達ではなく、自分たちで用意してくること。雪が降っている時期だったので、ノーマルタイヤではなくスタッドレスタイヤ装着していることなどの条件を付けました。ただし、このライセンスを取得した医療チームについては、薬がなくなったら、岩手医科大学で用意した薬をいくらでも持っていっていいよというようにしました。また、例えば、とある医療チームが入っている避難所があったとして、週末には帰ってしまう。その場合には、別の医療チームをこの医師のいなくなった避難所に入ってもらうなど、スケジュールの調整も始めました。これらのことは行政ではなかなかコントロールしにくいことです。震災後に、県庁の中に災害対策本部ができるんですが、医療本部というものはなかった。県庁内に机を用意してほしいと談判しにいきました。それで机を用意していただきました。それからは被災地に出発する前の朝、被災地から戻ってきてからの晩、その場所に行って、ここの場所はこういう状況になっているというブリーフィングを行って、対応策を練っていった。それを続けることで混乱は収束しました。約1週間かかりました。地元の医科大学がリーダーシップを取って進めていかないと、災害医療もうまくいかないということだと思います。今はその実績が認められて、文部科学省から補助金が出て、災害支援教育センターというものを作りました。紙のカルテが流されたことによって、患者の情報がなくなってしまった。岩手医科大学のサーバーにも置いておけば、患者情報がちゃんと保管されていて、災害時にも対応することができる。このヒントになったのは周産期医療ネットワークです。このネットワークというのは発災前からあったんです。被災地で妊娠していた妊婦さんが母子健康手帳をなくしていた。しかし、このネットワークの中に、母子健康手帳のデータが残っていた。各被災地の産婦人科の医師が、岩手医科大学からデータを引き出して、妊婦さんにこの情報を渡すことで、無事にお産ができた。こういう良いものはもっと活用幅を広げていかなければならない。

これからの時代に求められる医療人とは?

内館 今の現状を見ていると、医師に向いているかどうかより、成績のいい人が医師になっているように思うんです。この人、お医者さんに向いてないなと思うような医学部生にも会います。小川先生は、岩手医科大学が120周年を迎えようしていますが、どういう人が医師に向き、どういう人にもっと志願してもらいたいという思いはおありですか?

小川 それは当然あります。患者さんの気持ちがわかるような人でないと、医師になってもどうかなというものはありますね。

内館 そこの部分って、数字だけに強い人じゃダメですよね。

小川 日本の国のためだったら、学業成績のいい人は、理学部、工学部に行ってもらっていいよと。多少成績が良くないかもしれないけど、患者さんの痛みがわかり、患者さんを治してあげるんだというモチベーションを持った人に医学部に来てほしいとは思いますね。

内館 患者の立場からすると、成績がいいだけで、医学部に来られては非常に困ります。

小川 優秀であることは大事だけれど、あまりにも頭でっかちでもダメです。さっきも言いましたが、患者さんの痛みがわかる。そして、患者さんにはおじいちゃんから赤ちゃんまで様々いるわけですから、そういう人たちの気持ちがわかってあげられることが大事。そこに人間性というものが出てくるだろうし、その人間性の中に、本学の創立の精神である「誠の人間」というものが出てくると思います。

内館 入院していた時、看護師さんにすごく勇気づけられた。看護師さんの力の大きさは、病気してみると本当によくわかります。病室から岩手山が見えたんですが、私は自分で起きられなくて見ることができない。その時は、看護師さんが二人がかりで私のことを窓際まで運んでくれて、岩手山を見せてくれた。本当にその姿が堂々たる美しさで、自分の力で立ち上がって見られるように頑張ろうと思いましたね。かつて、私は整形外科医になりたいと思っていたんです。私は格闘技が好きなんですが、力士もボクサーもレスラーも、怪我で選手生命が絶たれたりする。救える医師になりたかったですね。ところが、現実には理系がまるっきりで無理でした。ただ、今回入院してみて、病院でたくさんのスタッフが働いていることを見ることができた。物書きとして、この真摯に働く姿を発信出来る方法はないかなと思っていたんです。そんな時に、日本看護協会から、看護師さんや患者さんが応募した「忘れられないエピソード」の審査をやってくれないかと言われてお受けしたんです。全国から寄せられたエッセーをいっぱい読んだんですが、まるまるドラマになるようなものもありました。夜中もいつナースコールがなるかわからない状況で働く人たちの姿を、少しでも発信できればと思っています。看護師さんの中には採血がすごく上手い人がいて、こういう技術も患者の負担を減らしてくれることなんですよね。人の気持ちがわかること、そして、技術があること。これ両方必要ですよね。

小川 そうなんです。患者さんを思いやる気持ちもそうですが、最新の知識と技術が無ければ、その気持ちを表現することができない。そんなことも学生に言うこともあります。今新しい岩手医科大学病院を着工することになっています。1000床くらいの大病院なんですが、一番最初に私が考えたのは、岩手のような広い場所であるわけだから、患者さんが伸び伸び療養できるように、低層で広く作るのがいいんじゃないかと思ったんです。東京のように土地がないわけじゃないので。ところが、日本のいろいろな病院、アメリカ、ヨーロッパの病院を視察したんですが、これはいいなと思ったところは一つもなかったんです。逆にこれはやっちゃいかんなという例はたくさんありました。そういう視察も糧となって病院建設に反映しているわけです。でも、いろいろ進めているうちに、私の考えが間違いだということがわかりました。広く作ったら、これから迎える超高齢化社会に対して、患者さんが歩けない病院になってしまうんですね。考えれば考えるほど、答えは最初と違うものになった。狭く、高層なものになっていきました。岩手なのに。今のおじいちゃん、おばあちゃんは、4つも5つも科を掛け持ちする場合も多い。あっちの外来に行って、こっちの外来にも行かなきゃならない。そう考えると、広いと歩けないですよね。だから、患者さんが来たら、すぐに外来に行けるようにしなければならない。病院はコンパクトに作らなければ、患者さんのためにならないのだという結論にたどり着きました。

内館 病院っていうのは、いくらきれいで爽やかでも、患者にとっては不安な場所で、一人でいるっていうのは辛いものがあります。そういう意味では、広いっていうのは考えものかもしれせんね。

小川 ワンフロアの面積を広くすればいいっていうものではないですね。これからの患者さんを中心に考えれば、やはり病院の在り方も変わってきます。内丸はメディカルセンター、矢巾はキャンパスというように、それぞれの役割を持たせます。

救急事態でこそ、医師の力量が試される

内館 私が手術を受けた日も、担当チームは、2つ手術が終わって、さあ帰ろうかという時に私が運び込まれてきたそうです。大変な仕事ですよね。

小川 スケジュールで入っている手術、緊急の手術。全然違いますね。

内館 私は今回の病気で、二度手術を受けているんです。一回目は救急車で運びこまれて、二時間後には緊急手術。二回目の時は、私のデータも十分に揃って、検査もして、いろいろな準備をして、手術を迎えた。緊急の手術という場面でこそ、医師の実力が出るものではありませんか?

小川 限定的な検査データでやらなければならないし、すぐにやらなければならない。それでもそれは医師の使命ですから。学生にももちろん教えますが、学生は緊急の現場も経験させます。医師は「3K」の仕事です。脳外科医、外科医、心臓外科は、本当に3Kですよ。

建学120周年、世界に羽ばたく大学へ

小川 岩手医科大学は、明治30年という非常に古い時期に出来た大学。その時は、官立の医師養成学校が全国で9校。私立は東京に2つ、地方に2つしかない時代。そんな中で、岩手にこの大学があった。そこから始まった歴史が2017年に創立120年を迎えます。岩手医科大学は地域医療に根ざし、地域の患者さんを治していきたいという思いから始まった。それは綿々と受け継がれ、今もやっていることです。地方にありながら、先程もお話したとおり、角膜手術や人工サーファクタントなど、先駆けて実践してきた。現在もある企業といっしょに、世界で9台目の7.0テスラのMRIを使った研究で、いい結果を出してきている。アメリカ、ヨーロッパからも共同研究の依頼が来ています。本当であれば、官立の旧帝国大学で持つべきものなんですが、地方にありながら、そういう最先端の機械を導入している。そして、ここからが大きな違いですが、岩手医科大学では「研究のための研究」というのは一切させないんです。あくまでも患者さん中心で考えています。そして実際の医療現場で活かせる研究を岩手医科大学が担うというつもりでいます。本学のやるべき道、世界に伍していく道は、生まれたシーズを患者さんの治療に活かすような、あるいは診断に活かせるような研究に特化していきたいと考えています。先ほどの学部の話もそうですね。学部別々に同じような研究をする必要はない。垣根を取り去ることで効率化を図り、患者さんにメリットがあるようにしていかなければならないと思います。今は企業と共同研究をして、世界最速かつ320列のCTが本学にあります。これも臨床研究の一つです。診断能力を高めるためには、今使われている機械では足りなくて、将来のために、こういう高性能の機械を作りましょうということになるわけです。患者さんを中心に据えた「考え方」を世界に輸出していかなければと思います。

内館牧子さんから岩手医科大学へのエール

内館 大相撲に、冬の時代がありました。本当に人が入らなくて、マス席でさえガラガラですよ。その時、私は横綱審議委員だったんですが、駒理事長、北の湖理事長も一貫しておっしゃっていたのが、「いい仕事を見せる」ということでした。「いい仕事」、つまり「いい相撲」です。相撲本来とは関係のない人寄せのアイディアはその場限りであると。いい仕事は浸透するのに時間はかかるんですが、今は札止めが出るくらいに盛り返してきた。そういう例を見ていますと、私は医師に求められる「いい仕事」してほしいなと思います。そして、それは必ず人の口の端にのぼるんです。この病院で助かった。あの先生が良かった。あそこの看護師は細やかだった。そういう評判は全国に広がっていきます。今、小川理事長がお考えのことも多分共通していることと思います。それを若い学生たちに伝えていって頂きたいですね。

小川 その通りです。うちは病院だけでなくて、人材育成の役割も担っています。将来を担う素晴らしい医療人を育てていきたいと思います。今までもドラマで医療現場を描いたものはありますが、本当の現場はもっと地味で大変なことが多い。いつか内館さんに本当の医療の現場を描いて欲しいと思います。今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。