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 盛岡文士劇に出演した内館さんはその打ち上げの席で突如倒れ、岩手医科大学附属病院に運ばれてきました。心臓と血管の急性疾患であり一刻を争う状態。すぐに緊急手術が行われ、一命を取り留めました。それから退院までの約3ヶ月、内館さんは岩手医科大学附属病院で過ごし、多くの病院スタッフと出会い、交流は今も続いています。
 今回は内館さんと岩手医科大学・小川彰理事長が久々の対面。旧交を温めるだけでなく、話題は岩手医科大学の歴史そして未来へと広がっていきました。

雪の降る夜に倒れた。そして、そのまま岩手医科大学へ

内館 まさ九死に一生の経験でした。私は2008年の盛岡文士劇「宮本武蔵」に出演していたんです。劇中もかけずり回っていても本当に何ともなかったんです。その後、編集者やスタッフ、多くの来客と打ち上げがあったんですが、乾杯してすぐに、突然具合が悪くなってきたんです。冷たい風に当たればよくなるかなと思ったんですが、目の前に座っていたのが、作家の高橋克彦さんの弟さんで岩手医科大学卒の医師。わたしがふらふらと立ち上ったったので異変を感じたんでしょうね。廊下でうずくまっている私を、居酒屋の空いている部屋に寝かせてくれたんです。そして、救急車に乗せるために、2階から戸板みたいなものに乗せて編集者たちが運び出したそうなんです。「あら時代劇みたい」なんて軽口を叩いたあたりまでは覚えているんですが、それ以降はほとんど記憶がないです。
岩手医科大学附属病院に運ばれたんですが、日本でも屈指の名医がいる病院ということで、運良く、名医の岡林均先生が執刀してくださった。手術は12時間40分かかったそうです。それからは2週間、意識不明だったんです。

小川 高名な作家さんが運ばれてきたと報告を受けていました。診断の内容を聞くと、相当な重症。命を落としてもおかしくなかったんです。

内館 はい。2ヶ月ICUにいましたからね。実際、東京に戻ってから、医療関係の友人たちに「岩手医科大の循環器はすごいスタッフが揃っている。倒れた場所が岩手じゃなかったら死んでたかも」と言われましたね。

小川 循環器医療センターがよくクローズアップされますが、実は岩手医科大学には、日本初、世界初というものがけっこうあるんです。例えば昭和24年に、日本で角膜移植の第1号を手掛けたのは本学です。当時は大問題になったんです。ご遺体から目を取るということが、死体損壊罪だと言われましてね。いろいろあったんですが、昭和32年に角膜移植法が成立して、全国どこでも、アイバンクはあるし、角膜移植もできるようになった。今では臓器移植も普通のことになった。そういう意味では、移植医療の先駆けは岩手医科大学なんです。それから、小児科の名誉教授の藤原哲郎先生が、当時、日本でも有数NICU(新生児特定集中治療室)というものを作った。これは乳幼児用のものなんです。例えば800グラムで生まれた赤ちゃんを入れて、温度や湿度をするわけなんですが、なかなかうまくいかない。未熟児は肺胞が開かなくて、窒息してお亡くなりになっていく。その状況を見て藤原先生が人工サーファクタントという薬を世界で初めて作った。その薬を使うことで、世界中で約100万人の未熟児の命を救ったと言われているんです。

岩手医科大学に受け継がれてきた医療、新しく生まれる医療

内館 すごいことですね。もっと全国にPRする必要がありますね。移植のことに関しても知らない人が多いんじゃないですか。

小川 最近の研究なんですが、今から15年くらい前に研究機器として3.0テスラMRIを岩手医科大学に導入しました。当時は世界で15台しかない機械だったんです。アメリカの考え方は、1800年代に、脳の機能地図を作った先生がいらっしゃったんです。それを今度は新しい機械を使って、この脳の機能地図を作り直そうというのが、3.0テスラMRIの位置付けだったんです。岩手医科大学では、それを患者さんに使って、10年間で500編の英文の論文を出していったのですが、そうしたら、世界中の考え方が変わってしまった。
今では3.0テスラMRIは普通の大きな病院には臨床機器として入っています。世界の常識を変えていったのが、岩手医科大学とも言えます。

内館 東京の友人・知人たちは、そういう重篤な症状を治すには、東京の病院じゃないとダメなんじゃないかという考えがあるんですね。「内館は岩手で治療して大丈夫なのか」と心配していたそうです。でも最近では雑誌などで、全国のいい病院を紹介してくれるようになってきました。病院も東京一極集中と思われがちですが、私自身、岩手医科大学附属病院に入院してみて、その考え方は違うなと思うようになりました。

小川 地方にありながら、世界一の医療を提供する。その思いが私たちの根底にあります。今はキャンパスを新しくしておりますし、数年後には新病院ができることになっています。医療においてはソフトも大事ですが、ハードも大事な部分。どういう建物を作っていくかということも考えなければならない。矢巾のキャンパスは、医学部、歯学部、薬学部があるんですが、それぞれ独立した建物はないんです。つまり学部の垣根がないということ。例えば、各学部に似た基礎講座があり、学部ごとに独立してつくる必要はなく、統合基礎講座として一緒にしても良いでしょうと。文部科学省へは何度も足を運び、3年越しでやっと認めていただけました。この他にも、医学部と歯学部の学生は一緒に解剖学の実習をする。薬学部の学生は、解剖学は必修ではないけれども、見学することは推奨しています。

内館 いろいろな垣根を取り払って、知識を共有するっていうのは大きいことですよね。医療の現場でも新しいことが起きるんじゃないですか。

小川 医療というのは、本来、様々な人たちが関わり、チームで対応するのが理想。人と人が交わることで、連携は確実に深まっていくと期待しています。大学の建物を建てる時から、そういうコンセプトで作っているので、そういう意味では、日本はおろか、世界でも初めての試みだと言えると思います。総合大学と呼ばれるものはたくさんありますが、学部ごとに別々のキャンパスに分かれている。それを一緒のキャンパスで学ぶものに変えた。医療というのは、チーム医療です。いろいろな分野の方々が連携して、患者さんを治そうというチームにならないと、患者さんは治らないんです。

内館 岩手医科大学で感じたのは、一つはごはんがおいしいこと。最初は点滴ばっかりで2ヶ月は何も食べられなかったんです。一般病棟に移って、離乳食みたいなものが出るようになったんですが、それさえ、汗だくで、ほとんど食べられませんでした。手や指がうまく動かないし、飲みこめない。そういう日が続き、主治医に「これさえも食べられない。だから、点滴に戻してほしい」って言ったんです。そうしたらその先生が「一本の点滴よりも、一口のスプーンですよ」っておっしゃったんです。口から食べなさいと。目が覚めましたね。それからすごく頑張って食べるようにしたんですが、食べるようになったら、みるみる治っていくんです。それともう一つ。リハビリで理学療法士の先生が、今日はこういう運動を20回やりましょうって言いますよね。そして、次の日は25回。そうすると、朝来た看護師さんが「内館さん、すごい。昨日より5回多くできたんですね」って言ってくれるんですね。病院内のスタッフで、患者の状況がちゃんと共有されている。スタッフのあったかさや患者を治そうという意識をものすごく感じました。おそらくそれは私だけじゃなくて、どこの病棟の人も同じように感じていると思う。

小川 かつての岩手・北東北は、貧困に喘ぎ、患者さんが苦しんでいた。それを見て、創立者の三田俊次郎が私財をなげうって、明治30年に創ったのがこの学校です。その時に看護学校、産婆学校もいっしょにつくった。その時代から、医者だけを養成してもダメだという考えがあったんでしょうね。「チーム医療」なんていう言葉がない時代から、チーム医療の思想があったのだと思います。そして「医療人である前に、誠の人間であれ」という精神。病んでいる方々の気持ちをちゃんと認識して、奉仕していくということです。これは今も綿々と受け継がれる岩手医科大学の伝統と呼べるものです。

内館 こういう場で、いいことばっかり言ってると思われそうで、すごく言いにくいんですけど、私は本当に岩手医大に助けられたって思っているんです。私の従妹が、仙台で循環器の内科医なんです。私の手術の翌日、いっぱいチューブを付けて意識不明の時にかけつけて来た。そして東京から来ていた母に「おばちゃん、ダメかも」って言ったそうなんです。彼女も専門なので、死んでも不思議はないとわかる。母はそれを聞いて、おろおろしたようです。意識不明中は、たくさんの夢を見ていました。奇跡的に目が覚めた後は、見た者をいつか書いてやろうと思ったんです。身体はほとんど動かない状態だったんですが、右手から動き始めた。看護師さんからもらったメモ用紙に忘れないように見た夢を全部書き留めていったんです。この中で書き留めていたものは、実際に小説の中で3つくらい使いました。

小川 自分で治したい、治りたいという執念がある人は、やっぱり良くなるんです。患者さんで暴れる方は元気になります。そして、食べられる人は元気になる可能性が高い。患者さん自身の生きたいという執念と医療人のチーム医療。様々な分野の方々が力を合わせて取り組む。それが患者さんを治す力になると思います。

内館 定期検診で、退院後2年間は、岩手医科大学に来ていたんです。待ち合い室などでいろいろな患者さんとおしゃべりする機会にもなったんですが、四国から来ましたとか、九州から来ましたとか、患者さんは岩手医科大学の評判を聞きつけて、全国から来ているんですよね。本当に素晴らしいものを持っているのに、東北の人はアピールが下手で。

小川 そうですね。自分のことを良く言うのは、東北人の魂として苦手です。なかなかできないですね。

内館 私が経験した入院生活を本に書いたりしているのも、地方の優秀さをしってほしいということがあります。あと、ものすごくおいしいのに誰もPRしないから、盛岡のラーメン屋さんも紹介しました。そうしたら、後でお店に行ったときに「今日はごちそうさせて下さい」って。申し訳なく思うと同時に、奥ゆかしくていいなあと。