◆解剖絵巻
小石元俊、橘南谿編, 別書名:平次郎臓図
東京, 日本医学文化保存会, 1973年(1783年刊の複製)

  この絵巻物は、天明3年(1783)、小石元俊と橘南谿が主導者として伏見で行った刑死体解剖の写生図である。「平次郎臓図」とも呼ばれている。原画は円山派の画家、吉村蘭州によって描かれた。
  小石元俊(1743-1808)は、関西で実証主義の古方派の旗頭として知られており、解剖学には特に興味を持っていた。杉田玄白らの「解体新書」(1774年)に接し深く傾倒し、江戸に出て杉田玄白、大槻玄沢らと交際した。その後関西で蘭学普及の主唱者となる。
  日本と西洋の解剖図の違いは、西洋は版画で色彩はなく、人体は自在にポーズを取っているのに対して、日本は刑死体が徐々に解体されていくさまを絵師が実際に見たままに写生し、臓器の色など生々しい色彩を施した絵巻形式になっていることである。首を落とされた体と無念な表情の頭部に始まり、頭皮を剥いで脳を露出させた頭、ついで体や手足など各部が解体され吊るされる臓器など、まったく克明に写生している。
  平次郎臓図は、日本最初の解剖書である「蔵志」(1754年)、次いで2番目に古い河口信任の「解屍編」(1772年)の図と比べても、格段の進歩が見られるが、それは「解体新書」の出現という影響が大きい。