◆保歯新論
高山紀斎 述、医歯薬出版、1973年
(明治14年(1881)、 有新堂出版の復刻版)

  口腔衛生上の重要な項目を歯牙解剖、生理から齲歯、保護療法まで二十編にまとめたわが国最初の歯科専門書で、明治時代に最も珍重された教科書である。英米の歯科教科書を翻訳し編纂した。
  当時の歯科医療は、口中科あるいは入歯師と称される職人的な人々によって担われており、一般国民の歯科衛生に対する認識も低かった。明治12年制定の医師試験規則により口中科は歯科に変わる。
  高山紀斎(1850-1933)は、明治5年に渡米し、自らの歯痛により初めて西洋歯科医学に接する。診察をした歯科医を師と仰ぎ、歯科医術の修得に努め、米国歯科医師の免許を取得、明治11年に帰国し、東京銀座に高山歯科診療所を開設した。紀斎は診療のかたわら欧米の歯科医学書の抄訳・編述に力を注ぎ、一般国民への歯科衛生思想の普及と歯科医学の社会的地位の確立に尽力した。
  その後、紀斎は歯科医育を専門とする学校の設立の必要性を感じるようになり、明治23年、高山歯科医学院を創設する。10年後に門下生の血脇守之助が譲り受け、東京歯科医学専門学校を設立、昭和21年、東京歯科大学となり現在に至る。

参考:東京歯科大学ホームページ http://www.tdc.ac.jp/chiwaki/index.html



◆歯の歴史館
山田平太、新藤恵久共著、日本医療文化センター、1981年