◆眼科新書<5巻 付録1巻>
不冷吉撰 ; 不路乙斯重訂 ; 杉田立卿重譯
群玉堂, 文化12 [1815] - 文化13 [1816]

  「眼科新書」はオーストリアの医師ジョセフ・J・プレンキ(1738-1807)の眼科書「Doctorina de morbis oculorum」(1777)を訳したもので、日本で最初に訳された眼科書である。寛政6年(1794)江戸に来たオランダ人医師がプレンキの眼科書を持参し、杉田玄白が2両で購入した。これを入手して和訳したのが宇田川棒齋(1768-1834)であり、「泰西眼科新書」(1799)として訳稿が完成した。写本として伝えられたが、後に杉田立卿(1786-1845)がこれを元にして「眼科新書」として1815年に出版した。
本書では、眼疾患を眉毛から網膜までの12群に大別し、合計118疾患が解説されている。各疾患につき、近因(直接の原因)と遠因(素因)とを記述し、鑑別診断を論じ、その上で治療を述べている。
当時の眼科医術は一子相伝による門外不出の施術(秘伝・家伝)であって広く普及することはなかった。そこに伝播してきたのが、西洋眼科で、その学を修得する医家が増加して、庶民に多大な福音をもたらした。日本に於ける西洋眼科の始まりは、「眼科新書」の刊行である。眼科に関する用語は、本書より選定されたものが多いとされ、眼科を志す医家のほとんどが学んだ眼科書であった。

参考文献
清水弘一,眼科新書現代語訳(その1)-(その14),臨床眼科,65(4)-65(10),65(12),65(13),66(1)-66(5)2011-2012
清水弘一ほか,文庫の窓から『和蘭眼科新書』と眼科新書,臨床眼科,65(3),392-396,2011
日本眼科学会百周年記念誌編纂委員会,日本眼科の年表, 日本眼科学会,1997.3
日本眼科学会百周年記念誌編纂委員会編,日本眼科の歴史1-3, 日本眼科学会1997.3
橘輝政,日本医学先人伝:古代から幕末まで,医事薬業新報社,1969
千葉県立関宿城博物館http://www2.chiba-muse.or.jp/?page_id=61