東日本大震災を越えて地域医療の連携づくり 岩手医科大学
災害医療の現場のフェーズ・今後の展開

求められる被災地医療は日々変化しています。本学では、以下の5つのフェーズに分けて、今後の地域医療の復興を目指していきます。第5段階まで10年を超える長い道のりが必要であると考えています。
 
新たな街をどう再建するか、それが現在の一番の課題です。従来通りの医療提供体制の構築ではなく、街のあり方とともに、新しい医療体制を構築していく必要があります。

・第1段階…初期救急医療
DMAT (災害派遣医療チーム(医師、看護師、薬剤師))等を中心とした初期の救急災害医療を実施。

・第2段階…避難所を中心とした慢性期医療
北海道から沖縄まで日本全国のDMAT(災害派遣医療チーム)やJMAT(日本医師会による災害医療チーム)、各医療団体、病院、大学から参集していただいた医療救護班によって各地で医療活動。

・第3段階…地域への臨時診療所の整備
病院が倒壊し機能していない陸前高田、大槌、山田、田老地区を中心に避難所に拠点救護所(臨時診療所)を開設し、各地域の診療の中核として医療活動を実施。

・第4段階…現在機能を縮小している基幹の拠点病院の再整備
現在機能を縮小している久慈、宮古、釜石、大船渡の基幹の拠点病院の再整備による機能回復。

・第5段階…町や地域の復興と、新しく再生された社会に合った医療の整備
地域経済の復興とともに町の復興が計られ、新しく再生された地域社会のニーズに応じた新しい医療供給体制の整備が必要。

急がれる医療人の仮設宿舎の建築

地元の医師・看護師をはじめ、家を失ったスタッフはかなりの数に上ります。病院の中の器材庫だったり、リネン室など仮眠の場所を各々見つけて眠っている状態です。

不規則な勤務が続く病院スタッフがしっかり眠る場所が確保できないことは、医療の供給体制を揺るがす大きな問題となりつつあります。医療スタッフの健康管理の観点から、仮設宿舎の建築を急ぐよう要請しています。

学長メッセージ
全県をあげた医療体制・医療の現場から再生の道を
[第4報]2011.04.08

岩手県は未だ季節外れの雪にも見舞われ、まだまだ寒く春の訪れは未だ先の様です。避難所での暮らしを余儀なくされている約20万名(県内約5万名)の皆様に心からお見舞い申し上げます。健康にはくれぐれもご留意されます様お祈り申し上げます。

被災現場の状況は日々変化しています。4月5日宮古、山田、大槌に出向き市長、町長、被災病院、診療所が被災した開業の先生方、また、避難所でお話を伺ってきました。約350Kmの行程です。現在の大学の状況を含めお伝えします。

昨日深夜(本未明4月7日午後11時32分)震度6強の最大余震があり、8日朝現在、岩手、青森、秋田は全県で停電中です。その他のライフラインは健在です。大学施設の被害状況は調査中です。

1.本災害の特徴
政府は今回の災害を「東日本大震災」と名付けました。これは大きな間違いです。被災者の生死を分けたのは地震よりその後に襲来した大津波でした。岩手県内だけで8,000名を超える死者行方不明者が出ている中でけが人は200名弱と僅かであったことがこれを裏付けています。また、被災当日、県基幹災害拠点病院である本学附属病院高度救命救急センターに沿岸部から数百名のけが人が運ばれてくるとの情報があり、医療スタッフを緊急待機させましたが搬送されてきた急患は僅かでした。この様に、今回の大災害は「震災」ではありません。現場から見れば「・・地震大津波大災害」とも命名されるべき大災害です。現場の実情を把握せず現場と乖離している政府の姿勢がこの命名にも表れています。

2.日々変化する災害医療の現場
この様な特異な今回の災害では、第1段階であるDMAT等を中心とした初期の救急災害医療の部分は極めて限定的でした。直ちに、第2段階である避難所に対する医療救護班の巡回診療に切り替えられました。北海道から沖縄まで日本全国のDMATやJMAT、各医療団体、病院、大学から参集して頂いた医療救護班によって各地で医療活動が開始されました。この時期の避難所の環境は医療以前の劣悪さであり、救護班の努力にもかかわらず助けられなかった命があったことも忘れてはなりません。極めて重要な初動における遅れによるものです。現場の声と情報を迅速に吸い上げなかった政府災害対策本部の現場感覚からの乖離が緊急政策の実行を遅らせたというべきでしょう。

一方、この時期は県災害医療本部、医療救護班、避難所、病院間の「司令塔」がなく、また、横の連携もなく各チームが独自に動く状況で、効率的な診療活動からは逸脱し混乱していました。そこで、県の災害医療本部内に「いわて災害医療支援ネットワークセンター」(本部長:高橋智神経内科学講座准教授)を組織し、県、岩手医科大学、医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会、各医療機関、県警、自衛隊の広範な連携の下、全国から集まった医療救護班の活動を一元的に管理しより効率的な運営を可能としました。官民一体となった組織を早期に立ち上げることが出来たことにより、第2段階の避難所の医療救護班の診療体制は飛躍的に改善しました。 

現時点では、第3段階に移りつつあります。内陸部、県外への被災者の移動で一時より減少したとはいえ、岩手県で南北200㎞の海岸線の約350か所の避難所に5万名近い方々が生活しています。病院が倒壊し機能していない陸前高田、大槌、山田、田老地区を中心に避難所に拠点救護所(臨時診療所)を開設し各地域の診療の中核として機能させる方向で努力しています。避難所における診療所機能が縮小されれば、久慈、宮古、釜石、大船渡の拠点病院に外来患者があふれることになり、未だ本来の病院機能が回復していないこれらの病院には荷が重い状況です。

3.被災者が支える被災地医療
地元の医療人もまた被災者です。帰る家は流され親族に犠牲者を出しています。病院、避難所に寝泊まりしながら、被災者医療に奔走しています。約1カ月になりますが、この極限の劣悪な環境がこれ以上続けば、医療人の方が先に倒れてしまいます。医療人の健康管理の観点から仮設宿舎の建築を急ぐ様要請しています。しかし、行政の動きは極めて遅いと言わざるを得ません。持続して地域医療を守るためには経過措置としてでもこの環境整備は必須です。また、被災地の開業の先生方も命を落としました。多くの診療所が被災し、一部の先生方は被災した建物の2階で診療を再開しています。

その先の第4段階では、現在機能を縮小している久慈、宮古、釜石、大船渡の基幹の拠点病院の再整備による機能回復が必要となります。更に、その先に第5段階があります。医療は人のいないところに必要があるはずはありません。地域経済の復興とともに町の復興が計られ、新しく再生された地域社会のニーズに応じた新しい医療供給体制の整備が必要です。この第5段階までには更に長期のおそらく10年、20年の長い道のりが必要でしょう。

4.災害時地域医療支援室
本学は県基幹災害拠点病院の機能を付加されています。県知事から全県の災害時医療体制のコントロールを含め依頼されています。そこで、避難所の医療救護班の整備と並行して、県内の基幹拠点病院支援を目的として災害時地域医療支援室(室長:肥田圭介外科学講座講師)を立ち上げました。文部科学省のご支援も得て全国の大学病院、その他病院、個人など比較的長期での病院医療を支援できる方々を募り、マッチングを行っています。海外からのお申し出も頂いています。すでに現時点で比較的長期間6名の方々に被災地の拠点病院でご協力頂くことになっています。

5.もう一つの支援
現在、岩手県の死亡は3,668名(4月6日現在)です。岩手県医師会が司令塔となり、本学法医学講座の支援のもと警察と連携し、大学を含む全県の医師と協力しほぼ100%検案は済んでいます。しかし、毎日約50体の新たなご遺体が発見されている状況であり、今後長くこの状況は続くと考えられます。被災から時間が経ってきており、本人確認はますます難しくなってきています。DNA鑑定用検体の保存はもとより、岩手県歯科医師会が中心となり歯式確認による身元確認作業も進めています。

6.4月5日の被災地の状況
宮古市では被災し2階部分まで津波被害を受けた市庁舎の上層階で市長中心に災害本部が精力的に活動しています。県立宮古病院は高台にあり幸いにも被害はなく、すでに日常診療が開催されています。しかし、外来は思ったより少なく、ガソリンの供給は改善したものの、津波で車は流され、病院に来る足がないためと思われます。

山田町の状況は更に悲惨です。町はがれきの山です。自宅だったのでしょうか?がれきを前に茫然と佇む住民の姿が忘れられません。山田町は3重苦でした。すなわち、「地震」、次に襲った「大津波」、さらに、海面を覆った油に火が付き全域で「火事」に見舞われました。一晩中燃え続けたそうです。高台にある町庁舎の隣のビルをはじめとして広範囲に火事の跡があり鉄骨が解けて見る影もありません。夜になり停電で明かりのない町全体が炎に包まれている光景を見ながら被災者はどの様な気持ちで一晩を過ごしたのでしょうか。

山田病院、大槌病院、高田病院は被災し機能は完全に停止しています。山田町、大槌町の診療所は比較的高台にあった1軒を除き全壊しました。歯科診療所は全滅しました。しかし、被災された医療関係者の士気は高く、劣悪な環境の中、臨時の診療所開設に全力を注いでいます。4月の半ばを目標に臨時診療所開設準備をしている先生もいます。

7.町の再生がなければ医療の再生もない
町の再生が医療再生のカギです。リアス式海岸の三陸には平地はほとんどありません。この僅かな平地に商店街、住宅地が密集し町を形作っていました。この平地が全て被災したのです。再び津波が襲う可能性のある平地に町を再建する「愚」はありません。しかし、高台の僅かな土地はすでに学校、公民館、住宅で占められており余剰地はありません。仮設住宅の立地すらままならず、必要数が建てられない可能性が危惧されています。しかし、今の土木技術からすれば山を切り崩し高台に十分な平地を確保することは可能と考えられます。この高台に町を再生させる以外方法はありません。

後藤新平による関東大震災後の帝都復興(帝都復興院(現場に設置すべき))の前例にならえば、この社会インフラの整備の責任は国、政府にあるはずです。町の再生とともに、家族、家、財産、働き場も生活基盤をも失くした被災者を「災害難民」にならないよう手当てすることが政府に課せられた最も重要な使命でしょう。政府にはくれぐれも現場の声を十分に吸い上げ、被災の現場を見ながらスピードある迅速な政策の立案決定をされることを切に望みます。

8.長く続く地域再生への道
町、地域の再生は10年単位の長い道のりです。しかし、被災者医療は待ったなしです。避難所、仮設住宅医療も年単位で続く事が予想されます。全国の皆様には、この間の、避難所医療、臨時診療所医療、基幹病院に対する息の長いご支援を切にお願いします。

9.医療支援のお願い
岩手県では医療支援に関する調整を一元管理しております。ご協力の意思のおありの方々には、以下にご連絡頂きますようお願いします。
①避難所・臨時診療所における医療救護班派遣に関しては:
「いわて災害医療支援ネットワークセンター」(本部長:高橋智神経内科学講座准教授)
(連絡先:岩手県災害医療本部内019-625-3113、
  メール:iwatedmc@gmail.com
②基幹拠点病院への医師派遣に関しては:
災害時地域医療支援室(支援室長:肥田圭介外科学講座講師)
(連絡先:岩手医科大学災害時地域医療支援室019-651-5111 内線7021、
  メール:saigaishien@iwate-med.ac.jp

10.大学学事について
東北地方で被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県では物流もだいぶ改善してきましたが、未だ完全復旧には至っておりません。従って、医歯薬三学部の新入学生約360名の引っ越しが遅れております。また、学部を超えて医・歯学の基礎講座を統合再編し、基礎の医・歯学を中心に2、3学年の学部を超えた統合カリキュラムを組んでおりました。そのためには新築した矢巾キャンパスの新校舎に内丸の旧校舎から実習室研究室を移さなければなりませんが3月11日以降この作業が遅れております。今後の復旧の目処の予測から、以下の通り入学式、新学期の予定を確定しました。

入学式は4月28日(木)、医歯薬第1学年、医歯の第2、3学年は連休明けの5月9日から新学期をスタートさせる事としました。その他の学年は4月初めの新学期スタートです。大災害の中この程度の遅れで済んだのは不幸中の幸いかもしれません。

生活再建すらままならない多くの被災者がいらっしゃる中で、学業を続けられる恵まれた環境にある学生諸君には、この事実を自覚し学業に専心される事を強く望みます。

11.被災した本学学生
本学は、医歯薬三学部合わせて2,000名を超える学生を擁しています。幸いにも本学学生、教職員に被害者は出ませんでした。しかし、ご親族、ご実家、ご両親の勤め先等が被災された学生が百数十名おられます。被災の程度等詳細は個別調査中ですが、経済的支援なしには今後の学業継続が難しい学生も少なくありません。大学としても最大限の支援をしてゆく所存です。困っている学生は遠慮なく学生支援対策室(019-651-5111 内線5513)にご相談下さい。

12.義援金のお願い
今回の大災害からの再生には、長い年月を要すると思われます。すでに多くの皆様からご寄付のお申し出を頂いております。誠にありがとうございます。目的は以下のとおりです。
①被災により学業継続が難しい学生に対する経済的支援
②今後年単位で続く事が予想される被災地への地域医療支援のための資金
③大学の教育施設の被災復興

幸いにも施設の大きな躯体損傷はありませんでした。しかし、多くの配管損傷や、新設した7TのMRIにも影響は及び、個々の損傷は軽微でしたが被害総計としてはかなりのものとなりました。被災地への地域医療支援は前述した如く長く続く事が予想されています。最も重要なのが、被災学生に対する経済的支援です。学業を継続できる経済的支援が必須です。大学、同窓会としても最大限の支援を予定しておりますが、広範な大災害ゆえ多くの学生が対象となっており大学、同窓会だけで十分な支援が出来ない可能性があります。全国の皆様のご支援を切にお願いする次第です。大学HP「震災募金の受入」をご参照頂ければ幸いです。

岩手医科大学 学長  小川 彰
インタビュー
被災地における口腔ケア
歯科医療班
(総合歯科学講座 歯科放射線学分野 教授)
小豆嶋 正典
津波の被害のあった地域では、着のみ着のままで避難されていて、歯ブラシや歯磨剤を持っている方はほとんどなく、入れ歯の紛失・不具合による口腔衛生の悪化が懸念されました。口腔衛生の悪化は、誤嚥などにより肺炎を誘発し「震災関連死」につながるとも言われています。
 
岩手医科大学歯科医療班では、県歯科医師会と連携して歯科医師2人、歯科衛生士、歯科技工士の4人1チームで歯科医療チームを組み、被災地に出向きました。岩手医大が主として担当した地区は、大槌町と山田町でした。両地区とも歯科医療施設は全て流され、歯科医療という面では孤立した地区でした。愛知県からお借りした歯科診療バスと、千葉、愛知両県歯科医師会など他県の応援も得て、歯科疾患の治療や義歯の新製・修理、口腔ケアなどの活動を行いました。 
 
機材を備えた歯科診療車で行ったのですが、峠では積雪があったり瓦礫による車のパンクや強風による窓ガラスの破損などもありました。現地では春特有の強い西風のために砂が舞い上がり、外での診療はスタッフも患者さんも大変でしたが、被災者の方々からは、「口の中がすっきりした」「痛みが取れました」と、ありがたい感謝の言葉もいただきました。
医大生としてできること
学生ボランティア
(医学部2年)
震災してすぐは、学内の被災者の安否確認をしました。その後、人手が足りない被災地で若い力として何かの役に立ちたいと思うと同時に、被災地の状況を把握し、医大生として何ができるかを模索したいなと思い、ボランティアに参加することにしました。苦しんでいる人がいたら手を差し伸べるという医療人を目指すものとして「自然な気持ち」で参加することができました。ボランティアの知識がない我々学生にとって先生方、事務局の方のサポートは本当に心強かったです。

釜石市災害ボランティアセンターを基点に、全国から寄せられた支援物資の仕分け、搬入の支援活動を実施。その後、沿岸地域の津波被害にあった地域で家具等運び出し、泥すくい、消毒などの活動を行いました。3週間ぐらい30人以上の有志で活動。被災地の方々は明るく接してくださり、気持ち的にもボランティア業務を行いやすい状況でした。

その後、医大生として何かできないかと考え、学内ですでに活動していた薬学部、歯学部の人たちに合流して「運動不足の解消法」や「手の洗い方」などの健康的に避難所生活を過ごすための「マニュアル」の作成を行っています。

まだまだ、現地ではボランティアの手を求めています。ぜひ、学内から多数参加いただければと思います。
沿岸部の自治体職員と情報を交換する小川学長
続く現地避難所での診療
被害を受けた沿岸部の基幹病院
学生による被災地のボランティア活動

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機材を備えた歯科診療車
歯科医療チームを組み迅速な口腔ケアを実施
診療車の外で行った義歯修理

 

全国から寄せられた支援物資の仕分け作業
津波被害にあった家屋の整理も実施