東日本大震災を越えて地域医療の連携づくり 岩手医科大学
全国からの避難所医療支援

日本医師会など医療関連7団体は4月22日、東日本大震災に合同で行動するための「被災者健康支援連絡協議会」を設置しました。全国80の大学病院でつくる全国医学部長病院長会議、国立病院機構や赤十字病院など計約2500病院が加盟する日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会、全国医学部長病院長会議、日本病院会、全日本病院協会―など7団体が参加します。
 
各県の地域の基幹病院などの災害医療コーディネーターなどと直接連絡を取り、各被災地の医療ニーズに基づいた医療支援を行います。介護や母子保健、公衆衛生などの面の支援も行っていく予定です。
 
本学の小川彰学長は 「被災地医療支援協議会」の相談役に就任。被災地の大学の立場からニーズを一元管理し、継続的に支援を実施するためのアドバイス等を行っています。

被災地での本学の医療支援活動
本学では、医療支援をはじめ、こころのケア・感染対策など、様々な観点から被災地での医療支援活動を行っています。

●医療支援(医科)
地震発生直後に DMAT(災害派遣医療チーム)を、 県立二戸病院や県立久慈病院等へ派遣し、その後は大船渡市・大槌町・宮古市田老・陸前高田市・山田町などの避難所における慢性疾患治療、健康管理、衛生管理による第二次災害予防に対応するため、複数の災害医療チームによる医療支援活動を行っています。

●医療支援(歯科)
本学附属病院歯科医療センターでは岩手県歯科医師会と共同で、歯科疾患の治療、咀嚼機能の低下防止、呼吸器感染症の防止の応急歯科治療、口腔ケアなど活動を行っております。 

●こころのケア
精神科医・看護師・保健師・臨床心理士・精神保健福祉士・社会福祉士などによりこころのケアチームを結成し、被災者の心のケアを目的として活動しています。

●感染対策
医師・薬剤師によりなる感染対策チームがインフルエンザなど感染症の蔓延を防ぐ取り組みを実施しています。

●死体検案(医科)
多数の本学医師らによる犠牲者の検案書の作成や、歯科医師らによる歯型照合など、警察活動にも大きく協力しています。

●学生による支援活動
釜石市災害ボランティアセンターを基点に、全国から寄せられた支援物資の仕分け、搬入の支援活動を実施。さらに沿岸地域の津波被害にあった地域で家具等運び出し、泥すくい、消毒などの活動を行いました。

学長メッセージ
想像を超える悲惨さ・集まる医療チームと連携
[第3報]2011.03.22

「ショックで言葉もない、想像の域をはるかに超える悲惨さ」

東日本大震災では、多くの方面からご支援お励ましを頂き感謝申し上げます。
震災から約1週間を過ぎ、学内事情もおおむね落ち着きました。そこで、3月19日(土)、現地を訪れて直に被災地を視察すると共に、避難所、基幹病院の責任者、先生方のお話を伺ってきました。

1.各地の被害の現状
この約1週間、現地を訪れた方々から直接話を伺い、通信状況が悪い中衛星電話で現地と話し、また、TV等で現地の映像は見ており、ある程度の理解はしていたはずですが、現地で実際に見た光景は想像の域を遥かに超えるものでした。

盛岡から、遠野、住田を経由し、「陸前高田」、「大船渡」、「釜石」と被害の甚大な沿岸南部を中心に回ってきました。一般道で陸前高田まで約120㎞弱、約3時間の行程です。広田湾に面する陸前高田市に近づくと、海も、町もまだ見えない山間の道路に、有名な景勝地「高田松原まであと7㎞」の交通標識が出てきました。その約1㎞手前から異変は始まりました。右側を流れる、気仙川はまだ海まで8㎞もあるにもかかわらず、家屋としての形を残していない倒壊した木材の山が川を逆流し、近隣の川辺の家々も倒壊していました。海も見えず山間部の集落にとっては信じられないことだったと思います。住んでいた方々の安否も心配です。

広田湾が見え陸前高田市を一望できる地点に差し掛かった時、さらにショッキングな光景が目に飛び込んできました。二万数千名の人口の町が消えているのです。一部のビルを除き海まで視界を遮るものはなく、広大な平地とがれきの平地に変わっていました。景勝地高田松原と防潮堤は消失し、そこには海が広がっていました。「あまりにきれいな広田湾」と「無くなってしまった高田松原」「壊滅した町」のあまりのギャップにはショックで言葉もありません。

「大船渡」、「釜石」は五万人規模の比較的大きい湾口都市です。中心市街は港に隣接しており、この中心市街はほぼ壊滅状態です。鉄骨の工場倉庫、ビルの形は保っているものの全壊状態です。かなり内陸の建物の上に大きな船が乗っている奇異な景観はこれらの都市の復興には困難が伴う事を予感させます。

また、大船渡、釜石間には越喜来(おきらい)、吉浜、唐丹(とうに)などきれいな入江の奥に集落が点在しています。明治の三陸沖津波、チリ地震津波などの経験から防潮堤が整備されていますが、今回の津波は24mにもなったと言われており、10mの巨大な防潮堤でも防ぎきれなかったと思われます。多数の家がひしめき合っていた集落部分は、まるで整地した様に平坦な広場に姿を変えていました。

2.遅れたガソリン・エネルギー供給
被災当初より、被災地の問題として、ガソリン・エネルギーの必要性を訴えてきました。(第1報、第2報)海江田経済産業大臣が早々と14日夕方には国家石油備蓄を取り崩してでも供給するとの声明を発表しましたが、被災県に到着したのは19日、未だに被災地の避難所、病院・診療所には届いておりません。21日段階でもわずかに開いている給油所に300台以上の給油を求める車列が並んでいます。この遅れは、避難所の環境悪化をもたらし、結果、少なからぬ数の被災者が犠牲になりました。この間の政府の危機管理体制の初動の遅れは誠にお粗末と言うべきであり、この数日の遅れの結果、犠牲者が出、増加しつつある事を猛省すべきでしょう。今後の対応次第では犠牲者の飛躍的な増加の危険すらはらんでいます。

3.必須な通信機能の回復
現在、岩手県では49,454名の被災者が、約400の避難所で生活しています。(県災害対策本部調べ)しかし、把握されていない避難所や把握されている避難所でも被災者数が把握されていない場所もあります。救援物資は届いています。しかし、必要な救援物資が必要な避難所や病院に適切に配送されておらず、危機的状況にある避難所もあります。通信が確保されていれば必要物資を伝えることが出来、改善傾向にある運送体制のもと必要物資を届けてもらうことができます。しかし、通信手段のない(ほとんどの避難所にはない)避難所の状況は悲惨です。基幹病院ですら衛星電話1本しかなく通信が制限されています。携帯電話の臨時基地局、固定電話回線の速やかな回復が、今後の2次災害阻止の大前提です。

4.避難所診療チームの活動状況
本学は当初より最大5チームの避難所診療チームを連日派遣しています。その他、DMAT,JMAT他、ご厚意によって全国からチームが入っています。これにも通信の不備が影を落としています。先日、本学の遠野の基地から30名のチームが各避難所に出動しました。問題の第一は、出発してから夕方帰着するまで連絡方法がなく、安全に問題があること、また、変更の指令が出せないことです。また第二に、避難所との事前の連絡は取れないためニーズに対応した事前計画が難しいことです。第三には、他の地区からの診療チームと現場でバッティングすることもままあり、他の避難所に移動するなど、きわめて効率の悪い運用を余儀なくされています。さらに第四には限られた医師の人的資源の中、先遣隊(偵察隊)を組織し未確認の避難所への事前調査をも余儀なくされています。これらの非効率さは通信(携帯・固定電話)の復旧によって飛躍的に改善できるはずです。

また、適切な医療支援隊を均等に、かつ継続的に派遣できるよう岩手医科大学が主導して岩手県医師会、日本赤十字、岩手県と協議し、岩手県災害本部内に岩手災害医療支援ネットワーク(岩手県医療推進課内)を構築しています。この組織は各地からの医療支援隊の窓口が一本化及び医療隊の支援、派遣先のアレンジメントを行っています。

5.被災地における医療供給体制
震災より1週間経過し、救急医療の段階は終わりました。今後は長期戦を覚悟しなければなりません。

今回の災害は私共が従来経験した常識を遥かに逸脱しています。現在、避難所にいる約五万名(岩手県のみ)と更に多くの方々が帰る家すらないのです。今後、仮設住宅の建築が進むと思われますが、仮設ですむものではありません。家族を失い、仕事を失い、財産を失い、家を流されて「災害難民」になる可能性のある多くの方々をどの様に救済して行くかが問われています。これは「医療」のレベルを逸脱した更に大きな問題です。この解決は政治に委ねられるものです。この解決こそ現政府に課せられた大きな宿題です。

さて、現実的には明日の被災地の医療をどうして行くかが危急の課題です。数万人の仮設住宅を用意するのは容易ではありません。避難所生活は短期では終わりません。従って、救急医療中心の第1段階災害診療の次には、第2段階の災害医療は避難所の臨時診療での慢性疾患治療、健康管理、衛生管理による二次災害予防に移ってきます。現在の問題は、避難所の臨時診療を如何に効率よく計画的に実施出来るかです。岩手県だけで南北200kmにわたる広範な沿岸部被災地を抱えています。全県の基幹災害拠点病院である岩手医科大学附属病院に対し県知事から災害医療のセンターとして全県を調整する機能を期待され、依頼されております。本学附属病院災害対策本部としては本部長の小林病院長が各地の避難所を訪問しながら、全県の避難所診療連携システム構築に向けて努力し、前述した岩手災害支援ネットワークが始動しています。

また、第3段階としては長期戦になることから、基幹の避難所での定点臨時診療所開設が必要となると思います。

一方、近未来ガソリンや食糧、日常必要品等が十分に供給されてくると、人の移動が容易となり基幹の病院に慢性疾患が集中してきます。これが第4段階です。第4段階は、今回壊滅的打撃を受けた沿岸の診療所の再興と共に基幹県立病院の再生が核となります。

6.今後
今回の大災害は過去最大と言って過言ではない未曽有の危機です。この復興は「阪神」以上の長期戦を覚悟しなければなりません。一方、復興は遅れているとは言っても少しずつ前に進んでおり日々変化しています。従って当然医療に対するニーズも変化しています。

医師も医療スタッフも足りず、現場のスタッフの疲労は極限状態です。しかし、ご支援のお気持ちは極めてうれしいのですが、一時的に多数の方々が押し掛けますと現場は混乱します。皆様の善意をより効果的に災害支援に生かすためには、情報の一本化が必須です。そのためには事前の調整が不可欠です。長期にわたる支援を計画的進めるため、以下の部署において、県知事の要請に基づき事前の連絡と調整を行っております。避難所に対する診療応援に関しましては岩手災害医療支援ネットワーク(tel 019-629-5407)、県内病院医療支援に関しましては岩手医科大学災害時地域医療支援室(tel 019-651-5111内7021)です。ご支援のお申し出に関しましては、各部署あて事前にご一報いただきますようお願い申し上げます。     

最も重要な事は、「細く長い」ご支援です。今回の災害の特殊性に鑑み、ご理解とご協力を切にお願い申し上げます。事態は時々刻々変化しています。今後の応援の体制等につきましては、追って状況をお知らせいたします。

くどい様ですが、「ガソリン(エネルギー)」、「通信(携帯、固定電話)」の回復を最優先でお願いしたいとの要望が全ての被災現場の責任者から寄せられておりますことを申し添えます。

この様に、未だ現場は危機的状況です。重ねて政府の迅速な危機管理体制の発動を強く要望致します。

岩手医科大学 学長  小川 彰
インタビュー
効率的な医療支援体制の構築
いわて災害医療支援ネットワーク 本部長
(内科学講座 神経内科・老年科分野 准教授)
高橋 智
発災当初、全国約120チーム600人のDMAT隊員が 岩手県内に入り、被災地医療や患者搬送を担って下さいました。本学ではDMAT撤収後の県内被災地における切れ目のない医療の提供を目指し、岩手県と共同で、オール岩手のいわて災害医療支援ネットワークを立ち上げました。県、医師会、歯科医師会、県立病院、日本赤十字社、 国立病院機構など医療関連機関、自衛隊、県警を含めた共同体で、クオリティーの高い震災医療体制の構築にあたりました。
 
医薬品、医療材料を調達できる医療拠点を県内数か所に設け、避難所にもれがないよう、50チームを超える全国の医療支援チームを登録して医療を継続してきました。フェーズに合わせて早期の避難所検
診、避難所の環境整備、仮設診療所の建設などを行ってきました。 今後は、仮設住宅入居後の治療体制づくりやこころのケアが重要な課題になっていくと考えています。
 
県庁の災害対策本部内で、自衛隊、消防、警察、海上保安庁と同じフロアで仕事をさせていただいたことで、十分なコミュニケーションがとれ、迅速な患者搬送などもできたと思います。ネットワークは、 医療チームの支援に際してライセンス制をとり、避難所や診療地域への適切な振り分けや、被災地域の情報の交換を行いました。岩手では、DMATが異例の1週間に渡って医療に対応していただいたおかげ
で、救護所活動開始の間にタイムラグは生じませんでした。
 
今後、発災直後から、自衛隊、消防、警察およびDMATが得た災害および被災地の医療情報を一元化し、共有できるシステムを整備できれば、さらに有用だと思います。
長期的な医療支援の必要性
岩手医科大学災害時地域医療支援室 室長
(外科学講座 講師)
肥田 圭介
もともと医師不足が深刻だった岩手県沿岸部。震災で地域医療の抱える問題点が表面化し、基幹拠点病院への長期的な医療支援がこれまで以上に必要となりました。
 
本学は県の基幹災害拠点病院として位置づけられており、県内の災害 時医療体制のコントロールもミッションとなっています。これを受け、 震災直後に県内の基幹拠点病院支援を目的として「災害時地域医療支援 室」を立ち上げました。
 
緊急対策として長期にわたり基幹拠点病院に対して支援していただける医師の公募に加え、日本医師会、全国医学部長病院長会議、日本病院会等から組織される被災者健康支援連絡協議会やアメリカなどの海外留学生等の御協力により、これまで8名の医師と調整を行い被災拠点病院に勤務いただいています。
 
被災地の再生は10年単位の長い道のりです。これからも長期にわたる医療支援をできる体制づくりに協力していきたいと考えています。
ガソリンを求めて渋滞する被災地
現地スタッフとの入念な打合せ
始まった避難所での診療
附属病院に戻り次の日の準備

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現地医療施設へDMATを適切に派遣
あわただしい現地の医療状況

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学長とともに現地基幹病院の状況をヒヤリング
長期的な支援体制が必要という現場の声を確認